8月6日です
2017年 08月 06日
20年位前、夫が広島に単身赴任しているとき、私は何度か広島を訪れました。
何度も資料館に足を運びました。
何故か下車駅に近づくと心拍数が上がり、鳥肌が立ちました。
何度行っても同じ。
資料館の中は話すのもはばかられるくらいの静謐さ…
何年経っても忘れられない空間。
8月になる前から、(もうじき、マスコミが原爆の日だと言い出すなぁ)となんだか心が重かった。
報道が不快なのではなく、なぜその日だけどの局も同じような画像を繰り返し流し同じようなコメントを繰り返し語るのだろう。
そして、翌日になると何事もなかったように語られることも無くなる。
ふと、息子にその疑問をぶつけてみた。
「流されないより流された方がいいやん。その日だけでも思い出すから。」
そうなのかな?
もう、本当の意味で戦争を体験した人のほとんどは亡くなっている。
経験したことのない者たちにとって、「思い出す日」っていうことが大切なのかもしれない。
団塊の世代だって、幼いころ、物のない時代は経験しているけれど、大変だったのは親で、なんだかんだと言っても戦争は知らないのよね。
だから、若い世代の人たちにとっては第2次世界大戦は遠い遠い過去なのかもしれない。
北朝鮮の指導者はあの頃を生きた人の孫の世代だから、戦争どころか苦労の苦の字も知らない。
核だってミサイルだって持ちたいから持つ。
国連なんてクソくらえ。
そして今は手に入れた。
まるでしつけの悪い悪ガキのよう。
子供は、手に入れたら使ってみたくなるもの。
その衝動をどこまで抑えることができるのだろうか。
異常なのは気象だけではなく、人間社会も。
歴史は巡り、きっとまた大きな戦争が起きる。
日本国も今の内閣は「平和」とか「非戦」とか「非核」とか言っているけれど、言っていることとしていることの整合性はあるのか?
莫大な借金を背負っていても、ただ税金を上げることばかり考え、政治屋(政治家はもういないような気がする)や公務員はお手盛りで報酬を上げる。
自分たちの報酬を上げ税金を上げて行くのも、国の滅びの一途であることを歴史は教えているのにね。
日本も世界もどこを向いて歩いているのだろうか。
今年のこの日は、慰霊ではなく破滅に向かう地球を想像してしまった。